<4学年の教材 「樋口校長先生」>
 私たちの櫛渕小学校は,今からおよそ130年前,明治7年にはじまりました。その最初の校長先生が,樋口健三先生です。
 樋口先生の家は,これからの世の中は教育が大切だ,自分はそのために働こうと考え,23才の時,櫛渕の子どもたちに勉強を教えるための学校「敬義塾」を開きました。
 その敬義塾がやがて櫛渕小学校となりました。けれども,その頃は,子どもも大人の手伝いをして働かなければ生活ができない時代で,学校にきて勉強する子どもは少なかったのです。
 樋口先生は,「ひとりでもたくさんの子どもたちに学校にきてほしい。勉強することは,子どもたちにとって大切なことだ。」と考えて,子どもたちが学校に来られるよう,一軒一軒,子どもたちの家をたずねて歩きました。
「どうです,お子さんを学校に来させてくれませんか。」
「いやあ,うちは生活が大変で,この子もいっしょに働いてもらわないと食べていけないんです。」
「学校へ行かすと,お金がかかるんでしょう。勉強が大切なのはわかりますが,うちにはそんなお金がなくて。」
「うちには小さい子がいて,この子のお守りがいなくなると。」
 どの家もなかなか子どもを学校に来させることができませんでした。それでも樋口先生はあきらめませんでした。
「仕事が忙しいときは仕方ありませんが,その分の勉強は別の時にやるようにしましょう。」
「本や鉛筆は心配いりません。学校で用意しますから。」
「小さい子もいっしょに学校に連れてきて勉強するようにしましょう。」
 樋口先生の熱心な呼びかけに,櫛渕の人々もなんとか子どもたちを学校に行かせようと努力しました。そして,だんだんと学校へ来る子どもが増えていきました。その当時,櫛渕小学校は,他の学校と比べてたくさんの子どもが来られるようになっていました。
 また,樋口先生の働きに協力してくれる人も増えてきました。
「先生,櫛渕にはまだまだ学校に来られない子どもたちがいます。私は,そうした子どもたちを集めて,夜に寺子屋を開きます。」
「それはありがたい。それなら,昼に働いている子どもにも勉強が教えられる。」

 子どもたちは樋口先生が大好きでした。そして,勉強もいっしょうけんめいがんばりました。
「勉強は大切だ。勉強をすれば,世のため人のために働ける人間になれる。」
「人にはみんなそれぞれいいところがある。今日,おまえはとてもよくがんばったぞ。」
 樋口先生は,勉強をさぼったりいたずらをしたときは厳しく子どもたちをしかりましたが,とても優しく,いつも子どもたち一人一人を励ましてくれました。

 樋口先生の家は代々医者をしていて,樋口先生も校長先生をしながら,医者の仕事も続けてきました。
「先生は校長先生としてもすばらしいが,お医者としてもすばらしい人じゃ。」
そんな村人の言葉に,
「私はそんな立派な医者じゃない。けれど,世の中には貧しくて病気になっても医者にかかれない人もいる。貧乏でも金持ちでも,どんな病気でも,病人は病人,医者が治してやらなければいけない。だから私のような者でも医者としてがんばれるうちはがんばらんといけないんだ。」
と,答えていました。

 こうした,樋口先生の姿は,今の櫛渕小学校に,そして櫛渕の人々にも受け継がれているのです。


<4学年の教材 「松倉さんの寺子屋」>
 子どもが六才になると,小学校へ入学して勉強するというのは,あたりまえのことですね。しかし,昔は学校へ来て勉強することができない子どもたちがたくさんいたのです。それは,この櫛渕でもほんとうにあったことでした。今から,そのことについてお話ししましょう。

「なんとかしなければならない。このままでは,この子たちは,どうなるのだろう。」
今日も松倉さんは,考えこんでいます。それは,松倉さんの近所の子どもたちのことでした。
 櫛渕小学校ができて,樋口先生が初代校長となりました。しかし,実際に学校に来ることができる子どもは,ごくわずかしかいませんでした。地主の子どもやお金にゆとりのある家の子どもでなければ,学校には行かせてもらえなかったのです。
 そのため,大人になっても,文字が読めない,自分の名前も書けない,お金の計算も十分にできない人がいっぱいいました。いっしょうけんめい働いても働いても,家族が食べていくのがせいいっぱいだったのです。子どもたちも昼間は,子守りや農作業など,家の手伝いでいそがしくて,学校どころではなかったのでした。
「櫛渕に学校ができたというのに,近所の子どもたちは,だれひとりとして学校に行くことができないでいる。せめて読み書きそろばんの力だけでもつけてやりたい。」その思いが松倉さんの心に日ましに大きくふくらんでくるのでした。
 松倉さんは,樋口先生をたずねて相談することにしました。
「校長先生,ごしょうちのとおり,苦しい生活の中で私の近所の子どもたちのほとんどが学校に行きたくても行けず,自分の名前すら書けない子どももいます。子どもたちのしょうらいのことを考えると,とても心がいたむのです‥‥‥。」
松倉さんは声を落として言いました。
「きびしい生活の中であっても,なんとかしたいのです。子どもたちは目に見えないすばらしい力をもっています。そのかぎりない力を引き出し,しょうらいりっぱに生きていく力を身につけさせたいのです。」
松倉さんの言葉は,しだいに熱をおびてきます。
「そこでご相談なのですが,小学校に行くことができない近所の子どもたちを,夜,私の家に集めて読み書きやそろばんを教えてやりたいと思います。ぜひ,校長先生にご協力いただきたいと‥‥‥。」
樋口先生は,その言葉に深く心をうたれ,思わず松倉さんの手を強くにぎりしめました。
「それはいい。私も全面的に協力させていただきます。ともにがんばりましょう。」
 こうして,松倉さんの寺子屋がたん生したのです。子どもたちの親も松倉さんの気持ちをたいへんうれしく思いました。自分のようなつらい目を子どもたちにはさせたくないと思っていたからです。子どもたちも,昼間家の仕事でつかれていても,勉強できることがうれしくて,いっしょうけんめいがんばりました。松倉さんはそんな子どもたちのすがたを見て,「子どもたちみんなが平等に小学校へ通うことができるような世の中に早くしたいものだ。」と思うのでした。

 今,櫛渕小学校では,子どもたち全員が,学校に来て元気に勉強しています。今日も,子どもたちの明るい声が校舎や運動場にこだましています。
 松倉さんは,「子どもたちには,どの子にも未来があります。そのためにどの子にも勉強する権利があるのです。」という思いをもって,いろいろとむずかしい問題がある中でがんばって寺子屋を始めました。
 その心は,今も櫛渕の地に生きています。