藍染め

藍染めについて

藍染め職人の人達

・松島昌子さん  ・古庄岩吉さん   ・高島岩吉さん  たちが、代表的な職人さんだが、まだ徳島には、たくさんの藍職人さんがいるそうだ。けれど、職人さんの数はどんどん減っているそうだ。また、受けつぐ人達がいなくなっきていて、困っているそうだ。

国府の藍染め工業

今も国府に残っている藍染めの工場は、体験などもさせてくれるそうだ。藍染めを体験してみたいひとは、体験に行こう!

筒引き

布が、塗れないように左手で、伸子をおさえ、右手に筒を持って りだす。

高島岩吉さんの家を訪ねたよ

私達は、高島さんに直接訪ねて話しを聞くことにした。




高島さんちは、今東富田運動会{町内運動会}の旗を染めたりもしているそうだ。

↑高島さんの作品を、触らせていただく。
「なんだか、ベタベタしている感じが、するよー!!」「のりで文字の周りを囲んでいるんだねー」「ピンクの文字がきれいだね」藍染めの製品を見ていると、自然と会話がはずむ2人。


藍染めに使われているのり



↑これは、藍染めに使っているのりです。私達が、普通に食べている物を組み合わせて、作っているそうです。食べてみると、しょっぱい感じでした。ねばねばしています。  

藍染めの歴史!

 藍染めの始まりは、蜂須賀家政が旧領地の飾磨周辺の藍を、呉島{麻植郡

鴨島町}に、移植したのは元和6年(1615)といわれる。それが麻植から板野、名西、名東、阿波の各郡の吉野川流域に広がった。『阿波藍沿革史』によると、1804年ほどには川内などでも生産を始めた。これが、藍染めの始まったきっかけだった・・・。石井町藍畑にある「田中家」もそのひとつで、国の重要文化財に指定された表門土蔵、北藍寝床、味みそ部屋、番屋座敷、納屋、南藍寝床、主屋など十一の建築物からなる。敷地は南北に約50メートル、東西に40メートルの四隅に、県産の青石、鳴門石で積み上げられた石垣をめぐらし、屋敷は主屋を中心としてまわりを藍製造場や倉がぐるりとまいているので、住宅兼藍製造工場といったほうが似つかわしい。ここは寛永(1624~43)のころ、初代播磨屋与右衛門が入植して以来代々続いた藍商人の家で、屋号を久と呼び萬延元年(1860)の南藍寝床、元治2年(1864)の主屋建設と進み、明治20年(1887)までに11棟を完成させた物である。昭和56年(1971)解体修理がすみ建設時の姿に復元されたが、その全容を前にすると、藍商人の全盛時代をほうふつとさせるものがある。

 徳島市・徳島市観光協会のガイドは、周辺の観光コースを案内したものであるが、「藍とのふれあいコース」がされていて、染工場、徳島県特産のしじら織の工場、藍屋敷、藍資料館などを5時間かけて見学する。先の田中家もこの中に組みこまれている。